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この体験談が今悩んでいるママに届きますように。
※ただ今、当院で乳房ケアを受けた方の体験談募集中です。体験談を書いていただける方はどうぞお知らせください。
井田助産院TEL 06-6678-4508 E-mail:0808@ida-josanin.com
NEW「私の母乳育児の全て」 KさんD君
Dちゃん

 1人目の時に母乳を上手くあげることができず、皆んなが普通にできていることが自分にはできていないと自分を責め、辛い思いをしました。 1人目は1ヶ月でミルク育児になりました。
 2人目を授り、今度こそは母乳育児を頑張りたい!と強く思い、産前に乳首を赤ちゃんが咥えやすくしようと馬油を塗ったりプチパッドをつけたり、かなり高い搾乳器も購入し自分自身では準備万端。
 しかし、いざ産後に頑張ってみても授乳はそう簡単ではありませんでした。  赤ちゃんは産まれてからしばらくの間の栄養は蓄えて産まれくるから焦らず、泣いたらひたすら咥えさせること、とお聞きし、頑張りましたが退院後、寝たと思ったらすぐ泣く息子を前にし、途方に暮れました。
 母乳外来では息子の体重が増えておらず、逆に水分不足だと言われて焦りました。
その時、ミルクを何cc足す、とか、体重にとりつかれてしまい、自宅で自分の安心を得るために体重計をレンタルしました。
 搾乳して母乳を保管し、泣く→体重→母乳→飲めた量を見て不足分を搾乳した母乳を温め飲ませ、ミルクを作って飲ませる…を24時間呪われたように繰り返す日々をしばらく過ごしました。
 計測や記録や哺乳瓶などの消毒やらで睡眠不足もあり、育児を楽しむどころではありません。 外出もせず引きこもり、だんだん病んで、自信喪失。いつまで続くの?と先の見えないトンネルに1人取り残されたような感覚になりました。

Dちゃん

 そんな時に井田先生と巡り合うことができました。
生後1ヶ月に満たない赤ちゃんを連れて外出なんて…と最初は自信がなく不安でしたが、予約日に外に出て空気を吸った瞬間、とても気持ちが良かったのを思い出します。
 そして、井田先生とお話しをし、自分のおっぱいは駄目なおっぱいだと思っていましたが、先生から「よう頑張ったなぁ」「いいおっぱいやなぁ」「大丈夫、問題ない」と言葉を頂き、自然と笑顔になってモヤモヤしていたのがスーっと軽くなったのを思い出します。
 やっぱり、ずっと家にこもっているのは良くないなと思いました。
どこかに行く予定があることは生活する上で大事なことなのだなと思いました。
 そして、ひとりで抱え込んでいた不安は先生の支えで和らぎ、いつでもおいで と先生が仰って下さり、私は頼る場所ができたんだ…と安心し、心が穏やかになりました。
 後にベビーマッサージにも参加させていただくようになり、ママ友にも出会え、私にとっては特別な日であり、その日を楽しみに毎日頑張ろう!と励みになりました。
 私の母乳育児は平成27年2月14日から平成29年2月3日の1年11ヶ月と10日でした。 長くなりますが、井田先生から教わり、最終的に気づいたことを書かせていただきます。

Dちゃん

☆参考書通りではない、人間だから日々変わる!
沢山飲む時もあるれば少しの時もある。3時間おきなんて毎回その通りにはいかない。私だって飲んだり食べたりする量や時間が違う。人間だから。
 思うようにいかず不安になっていましたが、最終的に目の前の息子を見て判断すべきだと気がつきました。
息子のスヤスヤと気持ち良さそうに寝ている寝顔、それがほんの数分であっても、少しの時間でも気持ち良さそうに寝ているのなら、その時は満足しているんだと思います。
量とか時間なんて気にしない。あの時に気付けば良かったな。
☆おっぱいは優しく丁寧に!
私の乳首は短いから咥えれないんだ、と思い込み、乳首を引っ張り伸ばそうとしたり、搾乳器を使って伸ばそうとしたり。搾乳器を使ったら、乳首が搾乳器の容器の大きさで伸びていくので、びっくりするほど大きくなって焦りました。  柔らかくなれば咥えれると気持ちばかり強くて、結果、私は乳首を傷めつけてました。
 搾乳時、量を多く絞り出せたら良いと、必死にギュッギュッと力を入れ過ぎておっぱいにアザができました。 刺激しすぎでカンカンに張って、絞れは張りが治ると思い、何度も何度も絞っていると、絞った直後は良いのですがすぐにガチガチになって結果、何度も詰まりました。
それに赤ちゃんが必要としている量以上の分泌となり、おっぱいがどんぶり鉢みたいに大きくなって痛くて痛くて…。 井田先生と私の間で、乳房への傷害事件というように。

Dちゃん

 乳首はどんな乳首でも授乳できる、授乳のポイントは授乳前の簡単な適切なマッサージと、授乳時のママと赤ちゃんの体勢。
 おっぱいはむやみやたらに絞れば良いもんじゃない、分泌を良くするには自分の赤ちゃんが飲むペースでおっぱいに知らせて気長に。むやみやたらにいじってはダメ。
優しく、丁寧に…あの時に気付けば良かったな。
☆授乳時間が乳首を傷める!
 息子が私の乳首を咥えれるように!嬉しくて嬉しくて、どんどん、沢山飲ませたい! 初めは授乳できて幸せでした。
が、乳首が切れたり白斑ができて痛みと闘う日々か続きました。歯をくい縛り、時には悲鳴をあげての授乳。あれだけ自分が望んだことなのに、恐怖の授乳タイムがくるのが苦痛でした。
 参考書には左右何分ずつ何回、とか色々ありますが、その時々でタイミングよく左右チェンジしながら授乳することが大事。
井田先生からは常に教わっていたのに、その時は理解しても中々タイミングが掴めず。
 授乳について、何度も何度も私の乳首の形や息子の体位や口を乳首にもっていく角度など、色々とアドバイスして下さり、通い始めて約1ヶ月後に咥えることができるようになり、その後も一通りのおっぱいトラブルを経験。乳首の痛み、おっぱいが張る痛みで、辛くてやめてしまおうかと何度も思いましたが、授乳のたびに悲鳴をあげながらも、いつか私にも幸せ授乳タイムが訪れるはず…と頑張りました。

Dちゃん

 いつになったらニコニコ笑顔で授乳を楽しめるのかな?と思いながら、結局1歳に。もう皆んなが卒乳を考える時期。私はまだまだ諦めていませんでした。
 息子が1歳になる頃には、噛みつかれて悲鳴。
先生に泣き言ばかり言ってました。先生は「ちゃんと話をしたら理解するから、噛んだらダメって話しかけて」と言いましたが、正直、まだこれくらいの子に話をしても分からないのでは?と最初は思いました。
 しかし、徐々に理解するようになり本当に噛みつかなくなりました。 子供に話しかけながらおっぱいをあげることは意味があるんですね。
 噛みつくことだけではなく、おっぱいをあげながら「ママのおっぱいを飲んでくれてありがとう」「ママは大ちゃんが大好き」「ママのところに産まれてきてくれてありがとう」…色々お話して、頭を撫でて、ギューっとして、おっぱいをあげる時間が子供とのスキンシップをゆっくりとれる時間になり、子供も穏やかにスーっと安心したように寝るようになりました。ママの特権だと思いました。
 ひたすら栄養の事や母乳の量、授乳間隔や子供の睡眠を気にしていた時期、痛みを堪えて苦痛だった時期から、気がつけば、乳首も鍛えられて痛みが和らぎ、子供が求めてきたら与え、色々囚われていた事柄を気にせずに目の前の私のおっぱいを飲んでいる姿だけを見るようになった1歳過ぎの頃、私はようやく母乳育児を楽しみながら生活している事に気がつきました。

Dちゃん

 色々悩み、色々経験して、その時に気がつかなかった事だらけでしたが、後になって井田先生の仰っていた事がこういうことだったのかと気づく事ができました。
 だから、私と同じように悩んだり辛いなと思っている方もいらっしゃると思いますが、先生のおっぱいケアや支えのもと、皆んなニコニコ笑顔で授乳タイムが待っていると思います。
 息子は最終的におっぱい星人となり、授乳クッションを担いで「パイ~パイ~」と私を追いかけてくるようになりました。
 卒乳もしっかり息子に時間をかけて説明し、息子も納得しての卒乳。私も咥える事すら出来なかった時期、痛みで苦しんだ時期を経て、しばらく楽しい時期があり、とても満足した母乳育児となりました。
 今でも抱っこすると服に手を入れてきたり、時々「おっぱい ちょーだい」って言いますが、ニコッと笑って理解していて、本当に飲みたい様子ではなく冗談を言う息子が愛おしいです。
 1人ではどうすることもできず、井田先生に支えられて私の母乳育児は1年11ヶ月で完結!とっても爽やかな気持ちです。
 授乳タイムがなくなったら息子と少し距離があいてしまうような、なんだか寂しさや不安もありましたが、卒乳後も息子はママ~とママっ子でいてくれて幸せな日々を過ごしています。

 井田先生なくては今はないと思います。本当に先生に出会えて良かったです! 振り返り、色々あったけど、本当に幸せな母乳育児だったと思います‼︎そして、母乳育児は深い!色々と勉強になりました。

NEWまさかの3ヶ月で断乳 ~3人目の完全ミルク育児~ 城山茜さん実楽ちゃん
Mちゃん

 「乳より命やで!よう頑張ったやんか」
 まだ3ヶ月にもならない娘を連れて、断乳ケアをお願いした私に井田先生がかけてくださった言葉です。「母乳育児が全てじゃない」なんだかものすごく許された気がして、涙がとまりませんでした。
 思い返せば長女を産んだ直後から、オッパイはトラブルまみれ。最初の数ヶ月は地獄のような日々でした。まさか母乳育児 がこんなにも痛くて辛いものだなんて…。赤ちゃんを産んだら普通にオッパイをあげて育てられるもんだと思っていた私には 衝撃でした。
 けれども、母乳で育てたいという思いが強かった私は、痛みに耐えながら必死にミルクを足したり搾乳したり。試行錯誤の 毎日を駆け抜けるうち、長女が4ヶ月になる頃にはなんとか普通に授乳ができるようになりました。
途中、何度か井田先生のお世話になりながら、1歳2ヶ月で断乳するまで、長女を母乳のみで育てることができたのです。
 そして3年後、次女を出産。「喉もと過ぎれば熱さ忘れる」とはよく言ったもので、あんなに辛かった母乳トラブルの記憶は薄れ、私の頭には母乳育児をやり遂げた幸せな思い出しか残っていませんでした。
「2人目だし、前ほど詰まったりしないはず~」と気楽に考えていたのです。
 ところが、オッパイに関しては次女は長女以上に大変でした。なぜなら次女はあまり泣かない、本当によく寝る、とっても 育てやすい女の子。…だったのですが、その分全然オッパイを飲まないんです。 乳首を加えてチュパチュパするだけですぐ寝てしまう。勢いよく飲んでくれないので、オッパイは詰まりまくり、痛くて痛くて、週に何度も井田助産院に駆け込みました。

Mちゃん

  体重も全く増えず、大きくならないのでオッパイも上手に飲めるようにならない。
ミルクを足しながら、痛みに耐えながらの母乳育児が辛すぎて、先生に泣きながら「今オッパイやめる事ってできるんですか?」って聞いたりもしました。
「4キロを越えたらもう少し飲めるようになるから」「4ヶ月越えたらもう少し詰まらなくなるから」もう少し、もう少し…。
 井田先生の言葉に励まされながら、必死に痛みに耐えて毎日を過ごしました。結局6ヶ月ぐらいまで、詰まりや白斑にさんざん悩まされましたが、その後は長女と同じく1歳2ヶ月で断乳するまで、母乳育児の幸せを堪能することができました。
 そして去年の夏、三女を出産。今回は次女の時に苦労した記憶がしっかり残っていたので、「もうあんな思いはしたくない!」と、できる限りの準備をして母乳育児に挑みました。
 出産前から井田先生のマッサージをうけ、臨月になると毎日乳首をマッサージし、産後は母乳に良いというハーブティーを飲みながら、食事にも気をつけました。
その甲斐あってか、三女は母乳だけで順調に大きくなり、1ヶ月検診でも、自宅訪問の助産師さんにも問題なしと言ってもらえました。「初めて全くミルクを足さずに、母乳だけで育てられるのかも!」と内心嬉しく思ったのを覚えています。
 ですが、さすがに三女ともなると、なかなか落ち着いてオッパイをあげてばかりもいられません。
 長女の学校行事、次女の幼稚園行事がたて続けにあり、外で無理な体勢で授乳せざるを得ない状況が何度かありました。そのせいで右にも左にも白斑や水ぶくれができ、授乳の度に耐えられない痛みがでるようになってしまったのです。
痛くて痛くて思うようにオッパイがあげられない。

Mちゃん

  そんな中、次女が原因不明の高熱に冒され、40度を超える熱が何日も続くという事態に。血液検査や点滴で何度も病院に通い、夜も泣きながらうなされる娘が心配で、私も眠れませんでした。
 やっと次女の熱が下がり、食事も取れるようになった頃、逆に私のオッパイの状態はかなり悪くなっていました。左乳首の白斑は全く治らず常に激痛。
 白斑が酷くなる度にオッパイは詰まってカチカチに。右の乳首はしょっちゅう乳栓(母乳が固まってできる砂粒のようなもの)で詰まったり水ぶくれができたり。とにかく左右どちらのオッパイも痛くて痛くて、詰まる度にいつ乳腺炎になるのかとビクビクしながら、必死に詰まりを取る毎日でした。
 そんな中、次女の病気でなかなか来ることができなかった井田助産院に久しぶりに訪れました。看病疲れと終わらないオッパイの痛みにヘトヘトになりながら、久々に三女の体重を測ってみると、前回からほとんど増えていない!…ショックでした。
 こんなに頑張って、痛みに必死で耐えて、看病しながら授乳したのに…。体重の増えが悪すぎて、ミルクを足さなければならない状況でした。産後すぐからオッパイは切れたり詰まったり、何かと痛かったけれど、三女の体重が順調に増えてくれていたのでなんとか頑張ってこれました。
 でもこの時、ほとんど体重が増えていなかったことで、疲れ切っていた私の心はポキっと折れてしまったのです。もう頑張れない。
痛い痛い。オッパイが痛い。もうやめたい。どうせミルクをあげないといけないなら、いっそのことオッパイやめてこの痛みから解放されたい。もう耐えられない。

Mちゃん

  たぶん子供を産んで、母乳で育てたいと思う気持ちには個人差があると思います。私も実際に子供を産むまで、母乳かミルクかなんて深く考えていませんでした。
 でもいざ子供を産んでみると、こんなにトラブルまみれのオッパイなのに、どうしても母乳で育てたいと思ってしまった。理由はわかりません。でもどうしても我が子に、私のオッパイを飲んでほしかった。私のオッパイで大きくなってほしかった。
 だから長女も次女も頑張りました。痛くて辛くてたくさん泣いたけど、そのぶん嬉しそうにオッパイを飲んでくれる娘は本当に愛おしくて、心の底から幸せを感じることのできる時間でした。
 だから、三女にもオッパイを飲んでほしかった。大きくなって嬉しそうにオッパイを飲む顔が見たかった。だから必死に頑張ってきたけれど、終わらない痛みの中、三人の子育てをしなければいけない状況に、もう私の心は限界でした。
 オッパイあげたい。でも辛い。痛い。誰か助けてほしい。
 休診日だとわかっていながらも、私は泣きながら井田先生の携帯に電話をして尋ねました。「まだ娘は三ヶ月にもなってないんですけど、今断乳ってできますか?」
その後、井田先生にケアをお願いして、さんざん悩みながらも私は断乳する事に決めました。
 三ヶ月での断乳は想像以上に大変で、張らしても張らしても止まらないオッパイに、痛くて泣いて、こんなに母乳が出るのになんで普通にあげられないんだと虚しくてまた泣いて。
 やっとオッパイが止まりだし、乳房の痛みも気にならなくなった頃には、断乳を決めてからもう1ヶ月が過ぎようとしていました。

Mちゃん

 結果、私が三女に母乳育児ができたのは、三ヶ月にもなりませんでした。母乳で育てたかったから、母乳育児を推進する完全母子同室の産院で産みました。
 産まれた直後から毎日10回以上の頻回授乳。たくさん母乳が出るように、おいしいオッパイがあげれるように、できる限りの努力をして頑張ったと思います。でも、叶わなかった。母乳育児、全うできませんでした。でもいいんです。
 だって、あの頃の私は、毎日オッパイの痛みにイライラして、長女の話もまともに聞けなかった。体がオッパイにあたるのが痛くて、甘える次女を抱っこするのも嫌だった。そして三女が泣くたびに、息を止めて、痛みをこらえてする授乳は拷問のようでした。
 主人と子供達がふざけあう横で、いつも痛みに耐えて笑うこともできなかった。 でも今は、思いっきり笑って、思いっきり子供達を抱きしめることができます。
 歯を食いしばって痛みに耐えて、母乳にこだわることも間違いじゃない。でも、私たち家族にとっては母乳を諦めることが、幸せへの近道でした。
 今では一生懸命ミルクを飲む我が子が、可愛くてしかたがありません。 断乳を決めた私を、認め、励まし、支えてくださった井田先生には心から感謝しています。
 一人では絶対に頑張れませんでした。そんな三女もあっという間にもう5ヶ月。
 よく笑い、よく泣き、元気にすくすく成長中です。これからも家族みんなで、 笑ってミルク育児を楽しみたいと思います!

NEW おっぱいで頭がいっぱい A.Sさん Aちゃん
Aちゃん

 6月半ばの梅雨で蒸し暑い時期、私はすがる思いで井田先生を訪ねました。
 5月28日に長女を出産。初めての赤ちゃんはちっちゃくて可愛くて愛おしくて。母乳で育てたいと思っていた私は、必死でおっぱいに吸い付く我が子を見て、ただ漠然と上手く行くもんだと思っていました。
 しかし異変に気付いたのは出産後3日過ぎた頃から…。泣くたびに咥えさせていた乳首はいとも簡単に傷だらけになりました。 切れて血だらけになり、直で吸われることが激痛に変わっていきました。
 それでも泣くたびに授乳しました。悶絶しながら授乳を続けました。  そんなある日産院でどれぐらい飲んだか測ってもらった時、私は愕然としました。
 左右合わせて20分以上吸わせて、たったの1mlしか飲めていなかったのです。
全然飲めてなかったんだ。こんなに痛いのに全然出てなかったんだ。娘はずっとお腹が空いてたんだ。
 そう思うとこれから先の授乳に対して不安しかないまま病院を退院しました。 その頃から授乳の時間が怖くなり、娘が泣くのが辛くなり、いつまでこんな痛みが続くのだろうと途方にくれるようになりました。

Aちゃん

  そんな時にネットで見つけたのが井田助産院でした。
近所だったこともあり、すぐに予約をして先生に見てもらいました。
 先生は私と娘を見て、「大丈夫、大丈夫!ちゃんと出てますよ。吸い方と吸わせ方が下手な2人だっただけですよ!」 とおっしゃってくれました。
 そして母乳以外のことでも話を聞いてくださり、私はその時、出産後初めて泣きました。 なんだかすごくホッとして、毎日毎日授乳のことしか頭にない、ギリギリだった自分に気付きました。
 その後もしっかりと吸わせ方、抱き方、搾乳の仕方を教えて頂き、マッサージをしてもらってフワフワになったおっぱいと一緒に、来た時とは180度違った気持ちで帰ることができました。
 あれから一年。娘が1歳と1ヶ月の時に断乳しました。
その間にも、歯が生えた娘に噛まれたり、乳腺炎になって先生にお世話になったり、だんだんお酒が恋しくなったり、離乳食がなかなか進まずおっぱいばっかりな時期があったりと、この一年の間に授乳に関してだけでもいろいろなことがありました 。

Aちゃん

 でも、最後に思うことは、やっぱり楽しくて幸せだったなと言うことです。
 もう娘はおっぱいには目もくれず、母乳を飲んでいたなんて嘘のようです。
でも、いっぱい飲んでくれてありがとう。おっきく成長してくれてありがとう。幸せな時間をいっぱいありがとう。
 そして、真っ暗だった気持ちの私を救い出してくださった井田先生ありがとうございます。
これからまだまだ育児でいろんな事に悩むと思いますが、断乳出来て一つお姉ちゃんになった娘と一個一個手をつなぎながら 乗り越えて行こうと思います。
井田先生に出会えて本当に良かったです。1年間ありがとうございました!




卒乳までの道のり Mさん Yちゃん
Yちゃん

 私は妊娠する前から、もし赤ちゃんができたら母乳で育てたいと思っていました。
そして、妊娠している事が分かり、主人も私も子どもがほしかったので喜びました。
 通院している病院の母乳教室に行った時、先生に「乳首が硬いし、右側の乳首が小さくて出ていないから、赤ちゃんがくわえにくい。」と言われました。
 乳首を引っぱったり、つまんだりするようにと言われたので、その日から私は毎日乳首をひっぱりつまむように努力しました。
最初は痛かったけど毎日続ける事で慣れてきて乳首が柔らかくなってきてる感じがしました。
 そして、平成26年の冬に主人の立会いのもと、予定日より10日も早くYちゃんを出産しました。感動で涙が止まりませんでした。
 これでやっと母乳を飲ませる事が出来ると思ったのですが、予想もしていない事がおこりました。Yちゃんが乳首をくわえてくれないのです。Yちゃんがくわえられるほど乳首が出てなくて硬かったからです。

Yちゃん

 私の気持ちとしては、毎日乳首を引っ張ったりつまんだりしていたので、すぐにくわえてもらえると思っていたのでショックでした。
 入院中は、初めての事なので搾乳のやり方も分からず、おっぱいがカチンコチンに張ってきてすごく痛くて大変でした。
 先生に手伝ってもらい、何度もチャレンジしてようやくYちゃんが乳首をくわえてくれるようになったのですが、すぐに乳首を離してしまい母乳を飲んでくれませんでした。
 何で飲んでくれないんだろう?と思い心が折れそうになり悲しくなりました。
 退院してからも出産した病院の母乳教室に通ったのですが、私の気持ちばかりが焦り、なかなかうまくいきませんでした。
 そして、その病院の先生に井田助産院を紹介して頂き、井田先生に出会う事が出来ました。  井田先生のマッサージのおかげで乳首がやわらかくなり、右側の乳首も出てきてやっとYちゃんが母乳を飲んでくれるようになりました。
 井田助産院で授乳する前とした後のYちゃんの体重を測ると井田先生が「何g増えてるよ」と言ってくれると本当に母乳を飲んでくれているんだと実感して嬉しかったです。

Yちゃん

 でも、何度もおっぱいがつまり、シコリが出来て痛くなる時もありました。
自分で搾乳してもシコリが取れなくて、痛みがおさまらない時は、井田先生にマッサージして頂き、シコリも痛みも取れました。
井田先生にマッサージをして頂いている時は、子育ての質問や世間話をしてリラックス出来ました。
 いつもYちゃんに授乳する時に使うクッションがあるのですが、そのクッションを見せると、おっぱいが飲めると思い、私の方に喜んで来るようになりました。
Yちゃんがおっぱいをほしくなると、クッションを私のところに持って来て、手のひらを見せて「ちょうだい」のポーズをするようになりました。
 そのポーズが可愛くて愛しくてたまらないです。  母乳は1歳半でやめようと決めていました。そして、とうとう卒乳の時、平成28年5月28日の朝が来ました。
 最後の授乳なのでYちゃんに「もうこれでっぱいおしまいやで。」と言って飲ませました。
 飲み終わるとYちゃんは意外とあっさりしていて、私のほうが今までの事を思い出し寂しくなってしまいました。

Yちゃん

 しかし、その日のお昼にYちゃんがいつものようにクッションを持って来て「ちょうだい」のポーズをしました。
 その姿を見ると可哀想になったのですが「もうおっぱい終わったの。」と言い聞かせると、少し泣きましたが意味が分かったのか、あきらめた様子でした。
 今はもうおっぱいの事を忘れたのか、Yちゃんなりに我慢しているのか分かりませんが、クッションを持って来なくなり、おっぱいをほしがらなくなりました。
 Yちゃんは、おやつもご飯もたくさん食べて、すくすく育ち1歳7ヶ月のいたずらっ子になりました。Yちゃん、今までママのおっぱい飲んでくれてありがとう。
 そして、最後に井田先生のおかげでYちゃんに母乳を飲んでもらえるようになりました。
井田先生に出会えて良かったです。本当にお世話になりありがとうございました。




おっぱい卒業までの道のり Iさん Hちゃん
Hちゃん

 今回出産は初めてでしたが、とてもスムーズな出産でした。しかし出血量が多かった為入院中は安静に過ごすよう言われ、子どもにおっぱいを飲ませる時以外はほとんど関わることなく過ごしました。
 そんな状況のまま退院を向かえ、家に帰ってから自分一人でちゃんと子どもの面倒を見る事ができるのかという不安を抱えたまま退院をしました。 案の定、家に帰ってきてからは毎日が憂鬱な日々でした。
おっぱいをあげても十分足りているのか?不安になり、ミルクを足してみるがあまり飲まず・・・そして1時間もしないうちにまた泣き出すという事が毎日続き、そしてやっと寝てくれたと思って布団に置くとまた泣き出す。結局抱っこをしたままソファーに座りながら寝ることもありました。
 1歳になるまで日中のお昼寝はほとんどしなかったので、ひたすら2~3時間おきにおっぱいをあげて、寝たとしても30分ほどで、布団に置くと起きるのでずっと抱っこしたままでした。
 家の用事は何もできず、「とにかく少しの時間でも寝てくれたら楽なのに・・・」とか「いま寝たところなのにもう起きた」など初めのうちは育児と家の用事のやりくりが上手にできずイライラしていました。

Hちゃんと猫

 そんな日々を一ヶ月すごしたある日、主人に「全然寝られないし、おっぱいも出てるのかわからへん」と話をすると「近所で母乳マッサージをしてくれるところがあるから一回いってみたら」とすすめられて行く事にしました。
 そして、1ヶ月間ほとんど引きこもりのように育児に明け暮れていたので、かなり疲れた顔をした状態で井田助産院を訪ねました。
 初めて井田先生に会ったときに言われた一言は、今でも忘れられません。「しんどかったやろー!よーがんばってたなぁー」でした。その言葉を聞いてなんだかホッとして肩の力が抜けたというか不安な気持ちが軽くなった感じがしました。
 不安と言っても具体的に何が・・・と聞かれるとはっきりしないモヤモヤした気持ちがあるだけで誰に話していいのかわからず、一人で抱え込んでいたようにおもいます。
 井田先生と今までの状況を話し、やっと今からマッサージを受けてリラックスもできて・・・と気持ちも上がっていたのですが、いざベッドに横になり子どもを自分の横に寝かせた瞬間、大泣きが始まりました。
お腹が空いているから泣くというのではなく、ベッドに置かれることが嫌で大泣きをするので、落ち着いてマッサージを受けることができませんでした。

ライオンに乗るHちゃん

 そんな状況が何度も続き、少しずつ泣かない事がふえていき通い始めて1ヶ月経って、やっと先生ともゆっくり会話ができるようになったのを覚えています。
 この頃の私は子どもが泣くことに敏感に反応し、泣き止ませようと必死になったり、おっぱいに関してもかなり敏感になっていた気がします。
 例えば、子どもが泣いていると「お腹が減ってるんじゃない?」と人から言われ、その言葉が「おっぱい足りてないんじゃないの?ちゃんと出てるの?」と言われている気がしたり、おっぱいを飲ませて1時間もしないうちにまた泣き出したので、ミルクをあげたら「やっぱりおっぱいでてないの?○○ちゃんは溢れるくらいおっぱいが出てたから完全母乳やったみたいよ」と言われると、なんだかミルクをあげる事に罪悪感を覚え、人前でミルクをあげないようにしたり。
 今考えるとかなり気にしすぎていたとおもいます。その時は育児にいっぱいいっぱいになって、前向きな考え方ができなっかったのだとおもいます。
 子どもが5ヶ月になるまでは本当に大変でしたが、少しずつ子どもと意思疎通ができるようになってくると、何を言っているのかわかってきてとても楽になっていきました。
 そして現在1歳3ヶ月で、まだ言葉は話せませんがこちらの言っていることはほぼ理解していますし、毎日楽しく過ごしています。
 1歳で卒乳してからはご飯も沢山食べるようになり、昼寝も朝に1時間と昼に2時間するようになり、夜もぐっすり寝てくれるようになり本当に楽になりました。

Hちゃん

 卒乳の方法は井田先生から説明を受けた通りに行い、1ヶ月前からカレンダーに日付を入れて毎朝「今日はこの日で、○日になったらアンパンマンがくるからおっぱいバイバイね」と説明し、卒乳当日は最後の授乳後、アンパンマンを書いたヌーブラを胸に着けスタンバイ完了。
 その日の夕方に始めておっぱいを求めて私の服をめくると、アンパンマン登場!!一瞬びっくりした顔をするが「あーあー」と言いながらカレンダーを指差し、私が「アンパンマンがお母さんのおっぱいの所にきたからもう飲めないよ」と言うと納得したのか何も言わず服を直す。
 そしていよいよ寝る時間がやってきた。わたしもドキドキ、おっぱいなしで寝たことがなかったのでどうなることかと心配しましたが、寝かしつける時に抱っこ紐で寝かしつけてから布団に置き寝てくれました。
 夜中に3回起きて大泣きをし、その度に飲み物を与えたり抱っこをして落ち着かせたりと寝かしつけましたが、さすがに三回目はあまりの泣きように私が悲しくなり泣いてしましました。
「ごめんね、よくがんばってるね」と何度も声をかけ、泣きながら一晩過ごしました。

ごはんを食べるHちゃん

 二日目の夜もまた大泣きするだろうと覚悟していましたが、2回起きましたが、飲み物を飲んだらすぐに寝てくれました。2日間で卒乳することができ、その後も一緒にお風呂に入ってもおっぱいを欲しがる事はありませんでした。
 育児は成長していけば楽になることもあるけれど、またその年齢に応じた大変なことがやってくるから、いつも「大変なのは今だけ今だけ。これも子どもが成長の過程で必要なこと」と思うようにしてなんとか乗り切っています。
 何でも一人で悩まずしんどいことを話せる人がいたから私も乗り越えられたし、井田先生にはおっぱいのことや子育てのアドバイスも教えてもらい、毎回先生と話すことで不安な気持ちを取り除いてもらえていたので、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
 1年間本当にお世話になりました。また育児のことで悩んだときは相談にのってもらえたら嬉しいです。





私の断乳Story Sさん Hちゃん
T君

 1歳を過ぎた頃から断乳について何度か考えていましたが、できれば娘がいらないと言うまで授乳を続けたい、おっぱいを飲む姿がかわいくて、まだあげたいという想いから1歳10ヶ月まで授乳を続けました。
 2歳を前にして、もう十分におっぱいをあげることができたという達成感、満足感から断乳に踏み切りました。
 お友達から井田先生を紹介してもらい断乳方法について丁寧に教えていただきました。おっぱいが何より大好きな娘。断乳するのはかわいそうと思っていましたが、井田先生が「かわいそうなことは何もない。お姉ちゃんになるきっかけを与えてあげてるんだよ。」と言われており、それを聞いて断乳に対して前向きな気持ちになることができました。
 それから1ヶ月、カレンダーを見ながら「この日からパイパイはにこちゃんになるよ。(おっぱいににこちゃんを描くことにしました。)お姉ちゃんになれるね。いっぱいごはんも食べられるようになるし、楽しみだね。」と話しました。
 初めは楽しそうに「パイパイバイバーイ!」と言っていた娘でしたが、断乳日が近づくにつれ、カレンダーから目をそらすようになりました。分かっているんだ!!断乳前日には「パイパイだいしゅき!」と言ってくれました。

T君

 当日、「これでパイパイ最後だよ」と言うと私の方がさみしくなって、涙が出てきました。娘は30分かけてゆっくり飲んで「パイパイおいしかたョ!」と言って最後の授乳が終わりました。
 その後しばらくしてから「パイパイのむの。」と私の方に来ましたが「パイパイはにこちゃんになったよね。」と言ってにこちゃんが描かれたおっぱいを見せると「にこちゃん!きた!」とびっくりしてニッコリ笑っていました。娘が泣かなかったので我慢しているのかと思い「泣いていいよ。」と言いましたが、少し泣いただけでした。
 井田先生が言われた「泣くことは悪いことじゃない。むしろちゃんと断乳と向き合って、しっかり泣いた方がお別れできる。泣いている子供をしっかり受けとめてあげて。」という言葉が私にとって印象的でした。
 今までは泣いてたらすぐに泣きやませようとしていましたが、泣く娘をしっかり受けとめてあげることが大切だと気づきました。
 3日目までは何度かおっぱいを見に来ましたが、にこちゃんを見せるとニコッと笑っておしまい。その後は見にくることも減り、ひょうしぬけなくらいあっさりとした断乳でした。

乳児身体発育曲線

 これも1ヶ月間しっかりと話をして、やめる心の準備ができていたからで、2人にとってこの断乳のやり方がよかったと思いました。
 授乳中は少食だった娘ですが、断乳後、別人のようにたくさん食べるようになり、心もとても成長して、頼もしくなったように思います。
 私も身体が楽になったのはもちろんですが、娘が泣いても肯定的に考えられるようにったり、娘を信じて待てるようになったり、育児が以前より楽しくなりました。
 今回、娘と一緒に断乳できたことはとても良い経験で、2人にとって自信になりました。よい経験と思うことができたのも、断乳を前向きなものと教えて下さったり、育児を楽にするアドバイスをして下さった井田先生のおかげだと思っています。本当にありがとうございました。
-end-


井田先生との出会いから1歳までの歩み Kさん T君
T君

 先生に「体験談どう?」と言われ一度は断りました。
自分の事を文章にする自信がありませんでした。
主人に話したら記念になるし書いたらと言われ私もこれまでママ体験談に共感をえたり勇気づけられたり泣いたりとお世話になったので書くことにしました。
 私と井田先生の出会いは保健センターでの母親教室でした。
その時に「おっぱい講座」の存在を知り出産までに「おっぱいの飲ませ方のコツ」 「おっぱいトラブルの対処法」を聞き準備万端で臨んだ育児でしたが想像以上に大変でした(・。・; 
 息子はあまり泣かずよく寝るタイプ。 完全母乳で育てたいという気持ちがあったのでミルクは少し足すぐらいにしてなるべくオッパイを飲んでもらいました。
 退院5日後にへその緒がとれ おへそがジュクジュクして少し膿があるように思ったので小児科を受診しましたが中々良くならず10日を迎えた日、お尻に床ずれのような物が出来てしまいました(@_@;)原因は…体重増加不良。入院。
 生後間もない息子にとんでもない経験をさせてしまった(T_T)
母親失格だと自分を責めました(>_<) 母乳の出ていないことにショックを受けました(-_-;)

T君

 訪問助産師さんに早めに来てもらえば良かった!!
井田先生の所に無理してでも行けば良かった!!
と…色々と考えて後悔しましたがもう一度色々と教えてもらえると前向き考えることにしました。
 他の病室に体重増加不良で入院している子が居ました。月齢も同じくらいで家も近いので喋るようになり悩みも共有でき気分転換になりました。今でもメールで情報交換しています。
 息子は完治し1カ月健診を終え退院 再度家での育児がスタート!(^^)!
順調に行くと思ったのに次はミルクの吐き戻しが始まり、、、また体重増加不良です。
 小児科の先生は解決法を教えてくれません!!
データ 発育曲線でしか診察していないなと感じました。
いつも言われる事はミルクが足りていない!! ほんとに嫌でした(-.-)ケチって与えてないと言っているように感じました。

乳児身体発育曲線

 井田先生に今までの経緯を話すと 「大変やったね。ショックやったやろ?大丈夫やで。飲みやすそうなオッパイしている 量も出ているし。吐き戻しは空気飲んでいるんやわ 哺乳瓶変えてみ。足すのも60mlでいけそうやけど体重が気になるから80mlで1週間様子見てみよう。」と 勇気づけとアドバイスそしてオッパイの飲ませ方、搾乳の仕方を教わり帰宅。  
 吐き戻しは無くなり体重も増え始めましたが…3~4カ月健診の頃には発育曲線の平均ゾーンを下回りました。 体重測定のテストを受けるみたいで嫌でした(>_<) 保健センターには毎月開催の交流会に参加して経過みていきましょうと言われました。
 この頃から色々な所に息子を連れて出かけるようになりました。 遊びの広場や子育てサークル ベビーマッサージ ベビーヨガなど今では毎日イベントをみつけてお出かけを楽しんでいます♪
 そうする事によって気分転換になり他のママ達 保育士さん 看護師さんと交流ができて同じ悩みを持っているママや離乳食のアドバイス 経験談など情報を得ることができ息子は他の子供の刺激をうけて楽しそうにしています。
生活リズムもつき寝かしつけ要らず疲れて 勝手に寝てくれるように…(-_-)zzz。

T君

 5カ月から離乳食開始 6カ月から2回食 10カ月から3回食になり順調にすすみ保健センターの発達相談では「この子のペースで成長して曲線もキレイに描いている100点満点」と言われました。  初めてデータじゃなく息子の体質で診察してくれた!!うれしかったです。 今では標準範囲に入り毎日元気に遊んでいます。  
 おっぱいは何回か白斑が出来たり止まりかけたり、歯が生え始めた頃は噛まれたり、ちぎれそうになるくらい引っ張られるなど色々ありました。
 混合育児でしたがあっという間に元気に大きな病気することなく1歳のお誕生日を迎えることができました。
 断乳も井田先生に教わりクリア  井田先生 ほんとお世話になりました。ありがとうございましたm(__)m




おっぱい星人の息子でしたが添い乳も断乳もクリア出来ました! 泉ゆみさん 翔(かける)君
翔君

 平成26年6月に息子を出産しました。 とんでもなく大変な育児の始まりでした。
母子同室の病院だったため、産後すぐ息子と一緒でした。 全然寝てくれない子で、起きてるときはほどんど泣いてました。
 おっぱいも上手に飲めない、私も飲ませ方わからない。助産師さんが来てくれるときだけ手伝ってもらって何とか飲ませてました。間隔も30分ももたなかったので、ほとんど授乳してました。
 2日目で乳首が切れたので保護器をつけての授乳。授乳が苦痛で仕方ありませんでした。
 退院したら母乳はやめてミルク育児をしようと考えてましたが、おっぱいを咥えてる息子の必死の顔を見ると愛おしく、もう少しだけ頑張ってみよう、あと少しだけ…と思い授乳を続けました。
 退院してからも30分も間隔がもたず、1日ほとんど授乳。疲労と寝不足で私もイライラ。。。母乳が出てないんじゃないかと思い、ミルクも何回も足してました。

翔君

 そんな時、母乳外来というのがあることを知り名古屋に里帰りした際に桶谷式母乳外来へ行きました。 そこで不安や悩みを打ち明けたら「お母さんおっぱいちゃんと出てるよ!このまま続ければもっともっといい母乳が出るよ!」と言って頂き、自信がわきました。おっぱいをマッサージしてもらい、たくさんアドバイスも頂きました。
 咥えさせ方がよくなかったみたいで、正しい飲ませ方を教えてもらったら、なんと乳首が痛くない!ビックリでした。
 里帰り中は毎週通い母乳もよく出るようになり間隔も1~2時間までもつようになりました。家に帰ってからも教えてもらった飲ませ方や食事に気を付け授乳を続けることができました。
 そんな息子もすくすく育ち、私は職場復帰の時期がせまってきたのでおっぱい星人の息子は保育園へ。
 そのとき10ヶ月の息子は食事もしっかり食べれてたので保育園ではミルクも飲ませることなく過ごせましたが、お迎えに行って家に帰ったとたん、おっぱいくれくれ攻撃。。。お風呂でも、寝る時もずっと咥えてきたので添い乳を夜中はしてました。

翔君

 ある時、おっぱいがチクチク痛くなり気にせずいつも通り過ごしてましたが3日経ったくらいから、高熱がでて腕も上げるのも痛く息子を抱っこすることも出来ないくらいの痛みに襲われました。
 すぐにいろいろ調べて、こちらの井田先生にみてもらいました。そしたら乳腺炎とのことでした。触られるのも怖いくらいの痛みでしたが、井田先生のマッサージはとても安心して受けることができました。
 添い乳がよくなかったみたいですぐに辞めるようにと言われ、絶対やめさせれるから大丈夫と言われましたが、おっぱい星人の息子には無理だと思ってました。1日目と2日目はくれくれ!と触って咥えようとしてきましたが、おっぱいバイバイよ~と言ってぐずぐずしながら寝てくれました。
 3日目はなんと!!触るだけで終わり。あれ?もういいの?とこっちが思ってしまうくらいのあっさり。  それ以降は咥えることもなく添い乳は卒業できました!案外簡単に辞めることが出来ました!

翔君

 乳腺炎も何回か通ったらすっかり治りました。息子も1歳1ヶ月になったころに断乳のため、また井田先生にお世話になり無事断乳することができました。
 断乳ケアもしっかりして頂き、辛かった授乳生活が今ではなんだか懐かしく寂しく思います。母乳育児をやめようと考えてた私も最後まで続けることが出来ました。
 2人目出来たときは、母乳育児はするかわからないですが、また赤ちゃんの顔をみたらあげたくなると思います。
きっと母乳をあげると思います。
たくさんのアドバイスとケアして頂き本当にありがとうございました。




母乳分泌過多と乳腺炎で悩みました Eさん Fちゃん

 私は出産するまでおっぱいに関する知識はゼロでした。 妊娠中は切迫早産で入院と自宅安静が長かったため無事に出産することしか考えていませんでした。そのため妊娠中 におっぱいのマッサージは一度もすることなく出産を迎えました。そんな私は出産後の一週間、母乳は本当に滲むく らいしかでませんでした。 母乳が出ないため退院するまでに助産師さんからマッサージを受けたのですが、そのマッサージは激痛で乳輪の周り には青あざができました。 「初産ではみなが通る道ですよ。」と言われ、やっと出産を乗り越えたところで更に痛い思いをするのかと精神的に辛く病室で泣きました。
退院後、私は里帰り先でおっぱいのマッサージをしてくれる助産院を探しました。それが桶谷式の助産院でした。 激痛のマッサージを受ける事を覚悟して行きました。 ところが桶谷式の先生の手技は全く痛くなく、逆に驚きました。
乳管の開通をしてくださり、その時の先生からは「双子の男の子を母乳育児できるくらいのおっぱいですよ。これからはむしろ乳腺炎に気を付けて」といわれ、そこから私の母乳過多気味のおっぱい生活が始まりました。あれだけ出ないことで悩んでいたのが一変し、今度は出過ぎて悩むことになるのです。
 乳管開通後のおっぱいは次の授乳時間がくるまでに{1、2回程湧く→娘は飲み切れず授乳後もおっぱいがすっきりしない、残る→しこりができて乳腺炎になってしまう}と、このような状態が何回か続きました。。

君

 里帰りを終えて自宅に戻った後も自分だけではこのおっぱいを制御できないと思い自宅から通える井田先生にお願い することにしました。
 この頃の私は繰り返す乳腺炎を回避するために授乳の前と後に搾乳するようになっていました。慣れない搾乳に時間 もかかり、睡眠もほとんど取れず、この乳腺炎と隣り合わせのおっぱい生活に疲れきっていました。
 娘が生後3ヶ月の頃、井田先生にマッサージを受けている時に「おっぱい辞めたいなぁ」とポロリともらしてしまいま した。先生は「あと一ヶ月だけ頑張ってみて、それでもきつかったら辞めたらいいいよ」と言ってくれました。あと 一ヶ月ならなんとかなるかと頑張ってみることにしました。
 一ヶ月が過ぎ、もうあと一週間、もう一週間と続けていきながら授乳前後の搾乳量を少しずつ減らしていきました。 気づくと娘が生後6ヶ月になる頃にはあんなに辛かったおっぱいも扱いやすくなり、一生懸命おっぱいを飲む娘の姿が可愛く て授乳の時間が楽しみになりました。
 あの辛く辞めたくなった時に、ただ頭ごなしに頑張れ!とだけ言われていたら私の心は折れていたと思います。先 生が頑張れそうな目標を示してくれたから頑張ることができました。
 その後、娘との楽しいおっぱいライフを送っていた私ですが、第二子への妊活開始のため娘が一歳を過ぎた頃の断乳を決意先生に相談しました。
扱いやすくなったとはいえ、まだまだ分泌が多かったので娘が一歳を迎える頃も一日6 ~7回は授乳していました。娘はあげたら飲むけど、自分から欲しがることはほぼなかったため本当はそんなにいらな かったのかもしれません。しかし授乳間隔をあけるとしこりができ乳腺炎になりかけることが増えたためこれ以上授 乳回数を減らすことはできませんでした。
 私のように分泌過多気味のおっぱいでは授乳間隔があいてしまう卒乳という形は難しいそうです。先生からは断乳の 際は張るのを我慢し過ぎずにしこりがある程度なくなるまでは搾って良いこと、一日に4から5回は搾って大丈夫とア ドバイスをいただきました。

 娘へは一ヶ月前からカレンダーにアンパンマンの絵を描き言い聞かせをし、当日は朝最後の授乳をして胸に絵をかき 見せました。私のおっぱいにアンパンマンを見た娘はなぜか嬉しそうでした。しかしその後は眠くてもおっぱいをもら えず、再びアンパンマンを描いたおっぱいを見せた時の娘がハッとした顔が忘れられません。最後に娘がおっぱいを 欲しがってくれて(これまではほとんどなかったので)私は嬉しかったです。
 初日の夜は二回程泣いて起きましたが、マグに入れた麦茶をごくごくと飲んで背中をトントンすると寝てくれました 。私の方もアドバイス通りにある程度は搾り冷し、先生のマッサージを受けるまで待ちました。断乳で再び乳腺炎に なることを覚悟していましたが、なんと乳腺炎にならずに断乳することができました。
思い返すと、断乳時よりも母 乳育児一ヶ月頃のおっぱいの方が辛かったです。
 乳管開通してから一年と11日後の断乳までずっと分泌過多のおっぱいでした。分泌過多で悩んでいる方は、たくさん 出るならいいじゃないかと周りには大変さをなかなかわかってもらえなくて辛い思いをしている方もいるかもしれま せん。今辞めたいと思っているかもしれません。そんなときは後一ヶ月、続けてみてください。乳腺炎にならないよ うに前搾乳や後搾乳をしながら、それらを少しずつでいいので減らしてみてください。
 先が見えないトンネルのようでで辛いかも しれませんが、最初よりは自分のおっぱいの扱いがつかめてくるのではないでしょうか。
 私は分泌過多で辛い思いもしましたが井田先生に支えていただき、最後には母乳育児よかったなと良い形で続けるこ とができました。

おっぱいトラブルでいっぱい悩みましたが、 6ヶ月以後は楽になりました。 今井裕子さん 翔太君
翔太君

 2014年3月に、長男を出産しました。出産前は、おっぱいでこんなに悩むとは、思っていませんでした。
入院中、助産師さんの指導を受けながら、授乳をしてみますが、なかなか上手にできませんでした。浅く吸うため乳首が傷つき、痛みを伴いながらの授乳でした。なんとか、深く咥えて吸ってもらおうと練習しますが、上手に吸えず、最後は搾乳し、授乳に1時間近くかかっていました。
 退院後も、何度も練習しますが、やっぱり口先だけで吸うため、思うようにおっぱいが出てくれません。それに、私の乳首の痛みもあり、保護器を使用してみると、今までよりスムーズに母乳が出るようになり、それ以降ずっと使用していました。
ところが、ある日突然、おっぱいがカチカチに腫れ、抱っこもできないほどの痛みと悪寒があり、熱を測ると39℃。井田助産院が近くにあることを知り、電話をしたら、すぐにみていただけました。

翔太君

あんなに痛くて、腫れていたおっぱいが、すぐに柔らかいおっぱいになり、痛みも和らぎ楽になりました。  そして、授乳の仕方も見ていただき、「もう保護器は必要ないよ。授乳も片方5分ずつ」と言われ、それまでは、おっぱいを吸ってもらうことに必死で、片方20分以上かけての授乳でした。
 その日から保護器なしで練習し、保護器なして授乳できるようになりました。毎回、保護器をつけて授乳し、授乳後に消毒をし、外出時も保護器を持参するという苦労が減り、なによりおっぱいを上手に吸ってもらうことができたことが嬉しかったですけれども、その後も白斑ができたり、おっぱいが詰まったりと、おっぱいトラブルが絶えませんでした。甘いものや脂ものは食べないように気を付けたり、水分をたくさん飲むようにしたり、母乳に良いというハーブティーを飲んでみたりと、いろいろ気を付けていたけど、それでも、おっぱいが詰まっていました。
 「また詰まった~。こんなに気を付けているのに、何で」と痛いおっぱいをしぼりながら、泣いたこともありました。ひどいときは週に3回、井田先生のところに行っていたかもしれません。

翔太君

 こんな状態がいつまで続くの?と、思っていましたが6か月を過ぎたころから、ぴたっと詰まらなくなりました。それから、母乳育児が楽しくなり、最初は、おっぱいを上手く吸えなかった息子も、大きな口をあけて、おっぱいを吸えるようになり、そんな姿を見るのが、楽しみでした。
途中、母乳育児がつらくなったこともあったけど、最後まで続けることができて、よかったです。授乳の方法を指導していただいて、ずっと使用していた保護器から卒業でき、おっぱいが詰まって痛いときは先生の手技で楽にしてもらって、つらいときには話を聞いてもらって、先生にたくさん助けられました。
そして、楽しくなってきた母乳育児でしたが、離乳食も進み、仕事復帰を控えていたこともあり、11カ月で断乳しました。断乳した日の夜は、さすがに泣いていましたが、意外とあっさり断乳することができました。
 断乳し、2か月経った今は、お風呂でおっぱいを見ると、引っ張って遊んでいます(笑)私のおっぱいの方は、やっぱり断乳後、乳腺炎になってしまい、最後まで井田先生にお世話になりました。

翔太君

出産後は家で子どもと2人だけの時間が長く、息子はよく泣く、おっぱいは上手くあげられない、おっぱいトラブルも絶えず、私はなぜか急に涙が出たり、イライラしたりすることが多く、気分転換にと子育て支援センターに行っても、息子は大泣き、息子と同じぐらいの月齢の子は楽しく遊んでいるのに何で泣くのと、また落ち込み。
 私の気分転換と、息子にもお友達がたくさんいる場所に慣れて欲しいなと思い、井田助産院のベビーマッサージに参加しました。やっぱり息子は大泣き。ベビーマッサージに来ているのに、マッサージできず、ほとんど抱っこでの参加でした。それでも、ベビーマッサージを卒業する頃にはお友達と楽しそうに遊べるようになり、私もベビーマッサ-ジの先生やママたちと、育児の悩みを話したり、楽しくお話しをしたり、ランチに行ったりと、気分転換になり、楽しい時間を過ごせることができました。そして、息子も1歳になり、1か月に1回、通っていたベビーマッサージも卒業し、井田助産院に通わなくなるのは少し寂しい気持ちです。本当にお世話になりました。

またおっぱいカチカチ~! 新井千夏さん 小千郎君
新井小千郎君

 私の出産した病院は母子同室でシャワーとご飯の時以外はずっと子供と一緒。泣いたらおっぱい泣いたらおっぱい、と言われおっぱいをあげても30分もしないうちに泣いておっぱい。その繰り返しで全く寝れず常に頭がボーっとする状態でした。
 でも気づけばおっぱいはピューピューでるようになり、退院の時には完母でいけるよと言われました。 ここからが私のおっぱいとの戦いでした。
 退院後、引き続き泣いたらおっぱい。やっぱり1時間と寝なくて30分寝たらいい方。泣くたびおっぱい。疲労と睡眠不足が限界の毎日。
 ある日いつものようにおっぱいをあげようとすると、痛くて違和感を感じました。子供も泣いて飲んでくれません。それでもあげ続けているとおっぱいが、カチカチ。腕も上がらない。抱っこできない。子供におっぱいを飲ませても泣く。

 もう何がなんだか分からず私も一緒に泣いていました。とりあえずおっぱいをまたあげて繰り返しているとカチカチおっぱいが柔らかくなりました。あれ?と思いながら数日後またカチカチ。次はどんだけ飲んでもらってもカチカチ。だんだん体が寒くなり怠くなってきました。
 産後、ずっとしんどい状態が当たり前だったのでそんなはずはと思いながら体温計で測ると39度の熱。携帯で母乳外来やっているところを探し近所にあったのですぐにいきました。おっぱいマッサージをしてもらい楽になり帰ってきて、もうならないように気をつけよう!と思いながらまた数日後。白斑。カチカチ。母乳外来に行きマッサージ。楽になる。
 その繰り返しを5カ月ほど繰り返していました。 もう、おっぱいしんどい!やめたい!でも、おっぱいを飲んでる息子が可愛くて、おっぱいを見て喜んでる顔が、飲んだ後の満足そうな顔が、、そう思うとやっぱりやめたくない!でもやめるのかやめないのか葛藤の毎日でした。

 そんなある日友人に桶谷式のマッサージしてくれるところあるよと教えてもらいました。そこが井田助産院でした。またいつものように白斑ができた時、予約をして行ってみました。 早速マッサージをしてもらいながら、認識が甘すぎますよと喝を入れてもらい、おっぱい吸われすぎて白斑が繰り返して起こっていた事、おっぱいあげる前のマッサージの仕方おっぱいのあげ方、気をつける事教えてもらいました。
 それから教えてもらった通りやってみると1カ月に何回もなっていた白斑が出来ない!たまに出来た時には、あの時あ~したなぁと思いあたる節があり、先生にマッサージしてもらいながらそこが原因やね!気をつけてね!と言ってもらい、みるみるうちにおっぱいの調子が良くていつもより余裕をもって息子とのおっぱいタイムを楽しむことができました。

 それから半年ほど経ち、2人目も考えているので断乳したいですと井田助産院に来院。断乳日は1才の誕生日前にし、断乳の仕方を教えてもらい、一ヶ月前から息子にお話をして、いざ断乳。
 最後のおっぱいの時には今までのおっぱい生活を思い出すと涙が出てきました。辛くてやめたい時もいっぱいあったけど、それ以上に息子と一つになれるこの時間が大切で愛おしくて。息子も何かを感じたのかいつもならお腹いっぱいって顔して遊びに行くのに最後のおっぱいの時はなかなか離れていきません。それがまた愛おしくて。
 それから何時間かしていつもならおっぱいの時、あたしが服をあげようとすると飛びついてきました。その瞬間アンパンマン登場!息子はアンパンマンを指差してギャン泣き。 でも納得したのかそれから服をあげておっぱいをもらおうとしなくなりました。
 それからめまぐるしく成長!ご飯もモリモリ、寝るときもトントンでおやすみ。 逆にこちらの方が寂しくて息子をギューと抱きしめたり。 これがはじめての子離れ親離れなのかなぁと感じました。
 今思うとあの時おっぱいやめずにあげ続けれて本当に良かったと思います! 井田先生に出会えて本当に良かったです! ありがとうございました。

おっぱい講座がとても役に立ちました Sさん H君

 「歩いたら断乳しよう。」 そう決めていたのに、はる君は1歳になっても1歳3ヶ月になっても全く歩き出す様子がありません。やっと初めて100歩以上歩けたのは「そろそろ2人目が欲しいね。」なんて話が出てきた1歳半検診の当日でした。  さ~て、いつ断乳しようかとカレンダーを眺めてみました。井田先生の「おっぱい講座」によると、「子どもはオッパイをもらえなくなるなんて思っていないのに突然あげなくなるとショックだし母子関係が悪くなるので、オッパイを止める1カ月くらい前から「オッパイを止める事」をお話すること。そうすれば子どもは断乳の日まで納得のゆくまでオッパイを飲む。そして次第にオッパイをもらえなくなる事を理解し受け入れてゆく。大好きなものとの別れを経験することで子どもは成長する。」というのです。
 ただ私には気がかりが一つだけありました。生理が遅れているのです。でも、まだ2日だけのことだし、ただ遅れているだけかもしれない。いや、もし妊娠しているなら悠長に授乳している場合じゃない。授乳すれば子宮が収縮して流産しちゃうじゃない。でも、妊娠していないのならば、ちゃんと予告をして断乳してあげたい。ともかく授乳の回数は減らせられるだけ減らしておこう。妊娠が確定するまでの間、私の心は揺れました。

 妊娠の判定が陽性と出たとたん、どうしたら良いか井田先生に電話をしました。教えに従ってはる君に話をしました。 いや、しようとしたけれど何かを察したのか、はる君はワーワー言ったり別のことをして話をさせてくれません。
 「最近なんだかオッパイくれない。オカシイ。その話は聞きたくないの。」そう言われた気がしました。
 3度目のチャレンジです。食後はる君に目を合わせて言いました。 「はる君、お母さんのお腹には赤ちゃんがいる。はる君がオッパイを飲むと赤ちゃんが苦しくなる。『しんどいよー。お母さん助けてー。しんどいよー。はる君助けてー。』ってお腹の中で泣いてる。」はる君は「イヤーそんな話やめて~」と言うように悲鳴のような声をあげました。「だからはる君にはもうオッパイあげられないよ。ごめんね。そのかわりはる君にはおいしいご飯いっぱい作ってあげるからね。」

 はる君の顔が変わりました。何か理解したようです。 オッパイを思い出さないようにパパに寝かしつけられたはる君ですが、夜中オッパイと言って泣き出しました。「オッパイがほしいの?ごめんね。はる君、オッパイあげるとお母さんもお腹が痛くなるからあげられないよ。」と言うとはる君は思い出したのか、泣かないで眠ってくれました。
 明け方再度泣き出すはる君。「オッパイが欲しいの?」「違うー。お腹すいたー。」と言うように泣くはる君。「ご飯食べる?」「うん」朝5時前に朝ごはんを食べました。次の日も夜中に泣くはる君。「オッパイ欲しい。」ではなく「お腹すいたー。」と泣くはる君。また明け方ご飯を食べました。3日目。また明け方「お腹すいたー。」と泣くはる君。「ごはんにする?それとも寝る?」「寝むたい。寝る。」「そうですか。おやすみなさい。」
 断乳終了です。 この後、はる君はオッパイともお腹すいたとも泣くことなく夕食をたらふく食べて元気に過ごしました。 もし、長い期間はる君がオッパイを泣いて欲しがったら「かわいそうなはる君、突然大好きなオッパイを止められて。」とその度に母はお腹(子宮)を痛くして過ごしたことでしょう。母ははる君に助けられています。

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 第1子であるはる君を母乳育児するにあたり、オッパイがなかなか出なかったり、オッパイのトラブルになったりとしんどい日々を過ごしました。
 出産前には何人もの子育て経験者がいろいろとアドバイスをしてくれていたのにです。そのアドバイスに振り回され、さらに私はしんどくなっていました。
 今思えば、そのアドバイスは、その人個人が経験したことであり、そのほとんどが誤った知識であったり、私の状況と合わないものだったりしました。
 それを救ってくれたのは井田先生の「おっぱい講座」でした。はる君を連れて参加出来るようになると、毎月通いました。母乳の良さ・母乳の出るしくみ・トラブルの対処方法、何度聞いても感動する卒乳の話。
 母乳で育児していても正しい知識を得る機会がいかに少なかったかと思いました。この「おっぱい講座」のおかげで1歳半で断乳するまで安定して授乳しつづける事が出来たのです

白斑には正しい知識と対処法で Uさん Kちゃん 

 2013年春に初めての子どもを出産しました。
産後1ヶ月が経ち、母乳の出も良くなったので、完全母乳に移行しようと思いました。ネットで調べると「おっぱいはほしがるだけあげればいい」とあったので、即実践。ほどなく、乳首に白斑ができてしまいました。
 白斑とは、おっぱいの出口が詰まってしまって、母乳が乳首の外に出られなくなっている現象で、見た目は乳首に白い水泡のようなものができます。その部分を娘に吸われると、涙がでるほど痛いのですが、そのままにしておくと、おっぱいにしこりができてしまい、また痛みがやってきます。
 ネットで調べると「とにかく頻回授乳」「抱き方、角度を変える」「針で破く」等…。私は、白斑が消えるまで痛みをこらえて、娘に何度も吸ってもらいました。やっと治ったかと思うと、数日後また同じところに白斑。もうダメだと、井田助産院へ。

 井田先生に「痛かったやろ。もっと早く来たら良かったのに。」と言っていただいたとき、何故一人で頑張っていたのだろうと我に返りました。
 そして、白斑の正しい知識と対処法を教えていただいたのですが、これが、ネットの情報とは全く違うんです!!!私は、間違ったことを繰り返し、痛い思いをしていたのでした。
 白斑でお悩みの方へ是非お伝えしたいと思います。井田先生いわく、
白斑は、頻回授乳などによって乳首によけいな負担がかかり、乳首の先の皮膚が硬くなって、おっぱいの出る所がふさがれてしまっている現象なのだそうです。これは、合わない靴を履いて歩くと足に靴擦れやタコが出来るのと同じ原理だと。なので、授乳の間隔を開けることが大切で、私の場合は、基本3時間毎。無理であれば現状よりも少しずつでも間隔を開けることを目標にしてくださいと言われました。また、赤ちゃんが泣いていても、お母さんが何かあれば駆けつけられるところに居るのなら、すぐに授乳しないである程度泣かせても良いよ!とアドバイスしていただきました。

 さらに、白斑を治すには、授乳の仕方がポイントで、射乳(おっぱいが湧いてくる瞬間)に合わせて左右の乳房を交互に赤ちゃんに吸わせることが大事だそうです。
 確かに、そのころの私は、娘が泣けば授乳していたので、ひどいときは10分ごと。さらに、白斑が出来れば、白斑が消えるまで何度も授乳。授乳の仕方は左右10分と教科書どおりにしていましたし、娘を泣かしたままではいけないという思いが強かったこと、ネットの情報に振り回されていたこと…。
 井田先生のアドバイスを即実践して、マッサージで詰まりも取り除いていただいて、私自身とても楽になりましたし、娘もおいしいおっぱいを飲めるようになってご機嫌になりました。



 はじめはトラブル続きで、痛くてつらかった母乳育児ですが、白斑が出来ても自分で対処出来るようになり、半年がたったころからトラブルもなく、次に井田先生にお会いしたのは、娘が1歳5ヶ月で卒乳したときです。 
 井田先生は、普段は来院を強く勧めることは全くありませんが、卒乳はきっちりと来院してほしいとおっしゃいます。卒乳というとどうしても赤ちゃんの事に目が行きがちですが、ママのおっぱいのケアも大切です。私は、卒乳の1カ月前から乳房マッサージを受けに行きました。
 卒乳の時は、まだまだおっぱいをもっとあげたいと思うほどでしたが、卒乳は母子ともに成長できるすばらしい機会で、とても感動しました。
井田先生のおかげで、卒乳後のトラブルもなく、最後までお世話になりました。本当にありがとうございました。



私の断乳体験記 Cさん D君
D君

息子1歳8カ月。1日5回はおっぱいを欲しがる筋金入りのおっぱい星人。
そんな息子に1か月前から「おっぱいをやめようね」という言い聞かせを始めた
はじめての言い聞かせでもある。
 本当に解っているのか半信半疑ではあったが、先生の言う通りに毎日欠かさずおっぱいとさよならする日をカウントダウン。
そしてその日がやってきた。
最後の授乳は、私涙でボロボロ。
幸せな時間をありがとう。これが最後なんて…。
 私が大泣きしながらの授乳となったがこれが良かったのか、
最後の授乳が終わった時には達成感と清々しい気持ちでいっぱいになった。

D君

 その夜、2時間位泣いて力尽きて眠った息子。
あまりにも泣いたので、朝まで熟睡。
翌日は、息子の気を紛らわすため家族に協力してもらう。その結果、その日はおっぱいの要求もなく1日が終わる。
 あんなに大好きなおっぱいをあっさり諦めたのか、言い聞かせがきいたのか。
私はかえって寂しくなるのかと思いきや、息子の潔さが気持ち良くて嬉しく思った。3日目もおっぱいの要求はなく、息子と私はある意味やっと個々になったような気がして、目の前が開けたような、とても視界が広くなったような前向きな気持ちに変わっていた。

あおい君

 1週間後、息子とはじめて二人で杵屋さん(うどん屋さん)に入る。
そこで生まれてはじめてきつねうどんの「おあげさん」をあげてみたら、
とびきりのスマイルで「おいしいね」と言っているような顔をして見せてくれた。
 その時、なんとなく断乳して本当に良かったと感じた。






泣かれるのがつらくて、子どもと一緒にこの世から消えてしまいたかった。Aさん Bちゃん
Bちゃん

 私は36歳で初めて子どもを授かりました。妊娠・出産・育児の全てが自分が抱いていたイメージと大きく違い、大袈裟な言い方かも知れませんが私にとっては地獄の日々でした。
 妊娠21週目位から、子宮の頚管長が短くなっていた為、張りどめの薬を飲み続け必要最低限の日常生活(トイレ・シャワー・食事)以外は身体に重力がかからないように横になって過ごす事を病院から言われていました。
 そんな生活が36週に入るまで続き、身体を自由に動かせないストレスと出産の準備(母親教室への参加や買い物、おっぱいマッサージ等)が出来ていない焦りや苛立ちで臨月を迎えました。
 絶対安静の生活から開放され、ようやく出産を迎えたのは40週と1日の時でした。初産という事もあるとは思いますが、陣痛が始まってからも赤ちゃんがなかなか降りず、誘発剤を用い大きい陣痛が起こるようにし、結局18時間を要して4kgの娘が生まれました。

 出産の際に切開せず産んだ為に、裂傷が酷く裂けた箇所を十数針縫う事になり、座る事はもちろん子どもを抱く事、自身の生活すら痛みの為に支障をきたす状態でしたが、母子同室の病院でしたので、休む間もなく、1~2時間毎に泣く娘を痛みに耐えながら不慣れに抱き半ばパニックになりながら授乳をしていました。
 シャワーと食事の時は娘を預けられるのでその時間が待ち遠しく、娘を迎えに行く事が正直、苦痛でした。部屋に戻り泣かれたら、痛みで辛い身体での世話がまた始まるのかと思うとイヤでイヤで仕方がなくて授乳がとにかく憂鬱でした。
 助産師さんが教えてくれるのですが、担当の方によって抱き方、授乳の時間(片方のおっぱい何分ずつと何回)がまちまちで、正解の答えが欲しかった私は常に不安で、おっぱいをあげながらひたすら時計の針とにらめっこ状態、秒単位で左右のおっぱいを交替して授乳していました。今思えばこの頃から「うつ」が始まっていました。

Bちゃん

 とにかく初めての子育ての一番の壁が「泣き声」でした。
赤ちゃんは話す事が出来ないので表現は全て泣く事でしかない!って頭では分かっていてもやっぱり、「泣く=悲しい、辛い、痛い」等々マイナスなイメージしか持てませんでした。
 1日の大半を泣いて過ごす娘を見ていると、私はどんどん自分が責められている様な感覚になり追い込まれていきました。泣き声を聞くだけでビクビクし、一緒にいる事が恐怖以外の何ものでもありませんでした。我が子に否定されているとしか思えず、おっぱいをあげる授乳の行為だけが私を母親だとかろうじて認識させてくれていました。
 そんな精神状態で泣いたらおっぱい、泣いたらおっぱいの生活を続けていた為、産後からの睡眠不足が重なりこの頃がうつのピークで、常に「消えたい」「この子さえいなかったら」と一歩間違えたら娘や自分の命を無くす事ばかり考えていました。そんな状態でおっぱいが出るはずもなく唯一の母親である事の認識すら無くなりかけていたところでした。私は藁をもつかむ思いで、おっぱいのトラブルに関して調べ井田助産院に辿り着きました。

Bちゃん

 予約をし初回のカウンセリングで先生に現状を話しているうちに何となくホッとした気分になれたのを今でも覚えています。そして先生の「ミルクあげたら良いから、お母さんが一度ゆっくり寝た方が良い。」との言葉に肩の力が抜けていく感覚を今でもはっきり覚えています。
 今となれば笑って話せますが、あの時井田先生にお会いしていなければ、私達親子は現在、存在していなかったかも知れないです。私達にとっては本当に命の恩人です。
 そして、今は娘も1歳7ヶ月、相変わらず良く泣きますが、元気にヤンチャに育っています。今でも正直、大きな泣き声にはドキドキしますがこの子の個性、元気な証拠と思いつつ過ごせています。
 あんなに神経質だった育児も、私本来の性格が出るようになり、娘が1歳4ヶ月の時、毎日夜中に4~5回泣いていたのでその都度おっぱいをあげていたのですが、ある日あまりにも眠たくてイラッとしてしまい言い聞かせもせずに突然その日の夜中に断乳をするという強行に出てしまいました。
 ここまで自分なりに頑張ってきたのに後味の悪すぎる母乳育児の幕引きとなってしまい、娘も突然の事で不安定になり、私はひたすら謝り続けましたが、さすがに、こんな自分勝手なきっかけで断乳を続けても良いかを井田先生に相談しに行ったところ、「ちゃんと謝ったんやからエエやん。丁度辞め時やったんやわ。今までよぉ頑張ったやんか。」と、最後の最後まで救いの言葉を頂きました。
 先生、本当にお世話になりありがとうございました。お蔭様で親子共々元気に過ごさせてもらっています。

母になって550日 澤田真季さん 桜花ちゃん
桜花とママ

 1才7ヶ月。オッパイバイバイの日。
今日までいろいろあった。先生に「先輩ママとして体験談など書いてくれる?」って言われた時、「あぁ~、私もオッパイバイバイしたら先輩ママになるんや。」
初めて先生のところに来た時、桜花は2ヶ月になったかならないかの頃。
毎回居合わせる他のママさんを「すごいなー」って思っていた。まだママ歴1年7ヶ月だけど、あの時「すごいなー」って思って見ていた他のママさんみたいになれているんかな?
 この1年7ヶ月、今思うとあっという間だった。先生には話したことあるけど、おっぱいの悩みがなかったら半分以上は悩み解決してんちゃうかな?特に先生のところに駆け込む前の2ヶ月、何回泣いたやろ?って。今でもよく泣くけど(もともとあまり泣かない、ザ・強がり)こんなに人の言うことに敏感になるんかな?って思うくらい親・周りの人が言うことに、いちいち気にして落ち込む。

桜花ちゃん

 いきなりだけど言われて嫌だったこと第1位!! 赤ちゃんの顔をみるなり「おっぱい?」これは私も友達に言ったことある(ゴメンね)今でこそ思う何気ない一言。これがキツイ。特に私はオッパイが小さいのでこう言われると「出てるの?」に聞こえた。実際「出てるの?」と聞いてくる人もいる。
 続いて言われて嫌だったこと、第2位。「泣いてるよ」これもたぶん何気ない一言なんやろうけど、すぐオッパイに結びつけてしまって、こう言われると=(イコール)「足りないんや」と。
 さらに続けて第3位。「オッパイ足らんのちゃう?」たぶん1位と2位につながって自分もそうじゃないかな?と思っていることを言われるからよけいに落ち込む。どこまで落ち込むんや??出産するまでは自分がこんなにオッパイにこだわるなんて思わなかった。むしろ「こんなペッッタンコ胸やし、出ないやろ」くらいに思っていた。でも、実際出ると、、、嬉しい!! オッパイで育てたい。

 後々先生に言われてたことだけど、どうやらオッパイが出なくなった原因は断乳していたらしい。入院中は母子別室というのもあり夜はオッパイあげない、搾らない(搾ることを知らない)昼間はオッパイ飲ませるのに赤ちゃんを連れて来てもらっても、くわえるとすぐ寝る。起こしても起きない、、、
 オッパイずーっとカンカン、、、寒気もする。そしてそのまま退院。
 それから先生のところへ行くまで昼間はずーっとオッパイくわえている状況。
しかも寝ない。おろすと起きる。夜はミルクで4~5時間まとめて寝る→またオッパイ、カンカン→出なくなるの悪循環にバッチリはまっていたらしい。
 そんなこんなで先生のところに駆け込んだ時(たぶん他の人もそうだろうけど)ボロボロだった。泣いて電話して初めてオッパイ見てもらって先生に言われた一言。「しんどかったやろ。」
「あのなあ、正直ちょっとオッパイ足らんなあ。だからミルク足して昼間赤ちゃんに寝てもらって、あんたも寝えや。1に睡眠、2に水分、3に食事やで」ものすごくスーッとした。

桜花ちゃん

 その時までミルク足すことは悪いことじゃない、泣いてるから足りない、自分でもわかっていた。けど、周りに言われるとすごいイライラしてものすごくしんどかった。結果、分かった事は(今でもそうだけど)同じ事を言われても言い方一つで納得出来るか出来ないか。 
 今回オッパイバイバイして先生のところへこれるのもあと何回かな?なんて思うとすごく寂しい。先生のところは赤ちゃん連れて行けてオッパイ飲ませられて、話聞いてもらえて、、、今日までがんばってこれたのも、ここがあったから。
 オッパイバイバイする前日、当日も一人でこっそり泣いた。オッパイバイバイ寂しかった。でも私も一つずつ子離れしないと!!思いきってバイバイして良かったと思う。今でもたまに「オッパ」って来るのが可愛い。(もちろん本人は分かっていてニヤつきながら来る)これからも、もっとっもっと大変な事いっぱいあるんやろな。でも、楽しめるよう努力したい。




おっぱい卒業!ちゃんとわかってたんやね! 大槻 和世さん  あずみちゃん

 仕事をしていた私は、お腹の中に赤ちゃんがいるのを忘れる事がある程の激務でした。 37週まで働き、育児書などに真剣に目を通し始めたのも産休に入ってからという、実にいい加減な妊婦さんでした。もちろんおっぱいの講座なんてあることも知らず、おっぱいについて調べる事もないまま時は過ぎ、平成23年10月29日に長女あずみを出産しました。
 世のママたちが母乳育児で悩んでいる中、あんないい加減な生活を送っていても無事に赤ちゃんは産まれてきてくれたので「私に限っておっぱいトラブルなんてないやろ~」なんて高を括っていたのです。
 しかし、母乳育児が始まって1ヵ月も経たないうちに、おっぱいがガチガチのボコボコ!岩が2ツくっ付いているみたいになってしまいました。遂には手が上がらなくなり、泣いている我が子を抱っこしてあげる事さえできなくなってしまったのです。泣いている私に主人が『知り合いが言ってた、桶谷式ってのに聞いてみたら?』と調べてくれ、助けを求めたのが井田先生との出会いでした。
 辛くて泣いている私に『すぐにおいで!』と言って下さり、食生活を始め、ストレスや睡眠不足が影響しておっぱいが詰まっていると教えてくれました。赤ちゃんもきっと飲めてないから、すぐにお腹が空いて何度も泣くということや、詰まりが取れて勢いよく出るおっぱいに溺れて、赤ちゃんが苦しがっていること、吸わせ方が良くないから、お腹が張って痛がっていることなどを教えられ、可哀想な事をしていたと思い、涙が止まらなかったのを覚えています。

 それからは、赤ちゃんに美味しいおっぱいを飲んでもらう為に食生活に気を付けました。卒乳までの毎日、必ず小松菜を1束食べ(本当に毎日食べました!)、甘いものを一切断ち、水分をたっぷり摂ってお米をたくさん食べました。おっぱいが痛くて駆け込んだ時、先生に治療していただいたおっぱいは、本当にしょっぱくてまずいものでしたが、甘くて美味しいおっぱいに変わり、いつの間にかおっぱいトラブルも娘に助けてもらいながら自分で解決できるようになりました。
 そんな私と娘のおっぱいライフもいよいよクライマックス。1歳4ヵ月の娘の卒乳です。誰もが迎える母子の試練の日々の始まりです。井田先生に卒乳の仕方を教わりましたが、「こんな小さい子にホンマに理解できるんかいな??」と疑問を抱きながらも、おっぱいに“アンパンマン”を書く事に決め、卒乳の日を設定しました。
 毎日毎日『この日になったら、ママのおっぱいにアンパンマンが来るから、おっぱいとバイバイね!』とお話しました。最初は『?』という感じの娘でしたが、3日目ぐらいからは『この日になったらアンパンマンはどこに来るんやったっけ?』と聞くと、私のおっぱいを指差しました!「あれれ。ちょっとは解ってるのかな?」と思いながら、いよいよ当日を迎えました。

大槻ベビー

 朝、鏡の前に立っておっぱいを放り出し、予め用意しておいた赤、黒、茶色の油性極太マジックで、アンパンマンを2ツ書きました!ちょうど鼻のところが乳首の部分になる為、少し鼻の高い欧米風のアンパンマンになりましたが、我ながらの力作!誰が見てもアンパンマンです!
 さて、娘の反応は・・・・・。おっぱいアンパンマンを見ると、「とうとうお越しになったか!」という感じでペコっとご挨拶。その後は数秒眺め、「もうええわ~」と言わんばかりに私のシャツを下げてしまいました。先生が仰ってた事が本当になり、ビックリ仰天! お風呂でもご挨拶し、特に執着しなかったので「大丈夫かな~」と思っていたら、その日の夜は大泣きに泣きました。
 娘はおっぱいの事を“ちゅーちゅー”と呼んでいたのですが、私のおっぱいを突き指するんじゃないかというぐらいの勢いで、『ちゅーちゅー』と叫びながら突きました。『アンパンマンが来たから、おっぱいバイバイしたよね?』と言うと、「せやった~!」という感じで『あ゛~!!!!!!』と大声で泣き、それを何回も繰り返しました。
 娘の大好きな物を取り上げてしまう辛さや罪悪感でいっぱいになり、私も一緒に泣きました。「オムツは将来履くかもしれんけど、おっぱいは2度と飲むことはないんや・・・」なんて思うとよけいに悲しくなり、また泣きました。泣き疲れて寝た娘は、夜中におっぱいを欲しがって起きる事もなく、朝まで眠りました。
 次の日の夜、「さぁ!今夜も辛い気持ちとの戦いだ!」なんて思って寝かしつけに挑むと、娘は昨夜の大泣きなどなかったかのように、お布団の上でキャッキャと遊び始め、遊び疲れてあっさりス~っと寝てしまいました。3日目も同じです。なんだか私の方が寂しくなってしまって、3日目は私だけがメソメソ泣いてしまいました。

大槻ベビー

 ところが、油性極太マジックであんなに上手に書いた欧米風アンパンマンも、さすがに4日目になるとインクが落ちて消えかかります。娘はお風呂で「アンパンマン、帰ったんちゃうん?」という感じで、私のおっぱいをじ~と見ていました。 「今夜は泣くかもな~」と思っていたら案の定、寝る前に『ちゅーちゅー!!』と言い出しました。前夜に寂しくなってしまったので、思わず「あげちゃおうかな~」なんて思ってしまいましたが、井田先生に卒乳の治療をしてもらった時、2日あげなかっただけでもしょっぱくてまずいおっぱいになっていたので、「こんなおっぱい、きっといらんやろ~」と思ったのと、先生も『ママのおっぱい美味しかった~!で終わらせてあげや~』って仰ってたので、思い留まりました。
 娘に『アンパンマン来てたよね?』と話すとまた「せやった~!」という感じで『あ゛~!!!!!!』と大声で泣きました。「ああ、この小さな娘は、おっぱい卒業をちゃんと理解し、必死で受け入れようとしているんやな」と、娘の気持ちが痛いぐらい伝わってきて、2人で辛い気持ちを乗り越えようとぎゅ~っと抱きしめてやりました。
 次の日からは一切おっぱいを欲しがらず、おっぱいからアンパンマンが完全に消えてしまっても、『ちゅーちゅー』とは言わなくなりました。私は、こんな小さな子が、卒乳を理解はしても“受け入れる”事ができるのだろうかと思っていたのですが、子供は大人が思っているよりも賢いもので、自分の中できちんと気持ちを整理しているのですね。そんな娘に、また教えられた卒乳物語でした!
 それからと言うものの、夜中に起きることなく朝までしっかり眠るようになり、嫌がって食べなかったご飯も進んでしっかり食べるようになりました。
 私はもうすぐ職場復帰します。今、私と娘には新たに“保育園”という試練が!私と離れる時の娘の悲壮な泣き声を、耳に響かせながら帰る車中の辛い事ったらないです。毎日涙が出ますが、卒乳を乗り越えられた私たちです。きっと乗越えられると思い、毎日を娘と頑張っています!
 育児で辛い事にぶち当たったら、自分一人ではなく娘と一緒に頑張ってるんだということを思い出し、そしてそれを主人が支えてくれているという事を忘れずに、育児を楽しんでいきたいです!

娘がICUに、、もう一度おっぱいを飲ませたい! 中川利佳さん 芽佳(めいか)ちゃん

 私には二人の娘がいます。 長女の時は何もかもが初めてで、ただただ戸惑うばかりでした。母乳を飲ませても飲ませても泣くので足りていないんじゃないかと不安になったり、おっぱいにしこりができて激しい痛みに襲われたり、長時間飲ませ過ぎて乳首が切れたり…頻回の授乳に睡眠不足で、体力も気力も限界に近い時もありました。
 でも何かあると井田助産院に伺い、話を聞いていただき、適切な処置とアドバイスをいただいて、何とか母乳育児を続けることができました。
 次女は比較的順調で、むしろ母乳育児が楽しくて仕方ありませんでした。 おっぱいが何より大好きな娘。「パイしよか?」と声をかけると、満面の笑みで、奇声をあげ、身体全体で喜びを表します。
 その反応があまりにも可愛いので、その反応見たさに、すぐにあげずにじらすこともしばしば。。寝る前はもちろん、どれだけ離乳食を食べようと、食後のおっぱいも断ることなく必ず飲んでくれました。ぴったり密着し、腕の中で安心しきって美味しそうに飲む姿は、とても愛しく、おっぱいタイムは私にとっても娘にとってもかけがえのない幸せな時間でした。

 ところが、 生後10ヶ月になったある日、娘が突然けいれんを起こして緊急入院し、ICUに入りました。身体には点滴等の管だらけ。人工呼吸器をつけ、薬で深く眠る娘…何度見ても涙をこらえることはできませんでした。最低4日間はこの状態とのこと。生きた心地はしませんでした。
 でも目覚めた時にこの子はまずおっぱいが飲みたいはず。それまでおっぱいを止めてしまう訳にはいかない!そう思って、以前からお世話になっていた井田先生に連絡しました。
 おっぱいが張る前に、3~4時間毎に搾乳するように教えて下さいました。 搾乳のコツも細かく指導して下さいました。 痛みが出た時には施術に伺い、不安な気持ちも聞いていただきました。心配で押し潰されそうになりながらも、回復することを信じて、先生に教わった通り、昼夜問わず搾乳を続けました。
 4日後、娘は無事目を覚まし、その翌日、おっぱいを口に含ませると、力無いながらも飲んでくれました。ちゃんとおっぱいが出ている感覚もありました。良かった!おっぱいが大好きな娘に、また飲ませてあげることができた!涙が溢れました。病院の先生方、井田先生、そして小さい体で過酷な治療を耐え抜いてくれた娘に、心から感謝しました。そして2週間後、娘は無事退院し、すっかり元通りのニコニコ笑顔の、おっぱい大好きっ子になりました。

 そんな娘にも、おっぱいとバイバイする日がきました。3歳上の長女に続き卒乳は2度目ですが、やはり寂しいものです。初日の夜は、激しく泣き続ける娘を抱きながら、私も一緒に泣きました… 卒乳から2週間が経ち、娘は保育園に通い始め、ご飯もモリモリ食べるようになりました。
 まだ1歳2ヶ月ですが、卒乳という試練を乗り越えた娘は、少し『おねぇちゃん』になったように思います。
 2人の娘を母乳で育てることができたことは、私にとって本当に貴重な経験となりました。 楽しいことだけでなく、辛いことも、思い悩んだことも含めて、とても大切な時間でした。
 母乳育児は終えても、育児はまだまだ続きます。この経験や気持ちを忘れず、これからも娘たちに、めいっぱいの愛情を注いでいきたいと思います。 いつか娘たちが大きくなった時、母乳育児について話したいと思います。

楽しい母乳育児のはずが、、、 田村順子さん 茉梨(まり)ちゃん

 私は、平成23年8月に長女茉梨を総合病院で出産しました。 母乳育児を強く希望していたので、病院選びは出産直後からの母子同室やカンガルーケアを実施しているかどうかや、「赤ちゃんに優しい病院」を基準に選びました。 また畳の部屋での自然な出産を夢見ていましたので院内助産院もある病院で出産しました。 妊娠中は母乳育児に関する本を図書館で借りてきて何冊も読みました。おっぱいをあげたいのに病院側に流されるまま粉ミルクをあげられてしまう・・・なんて事がないように、アレルギーの心配を前面に伝えようと準備までしていました。
 病院の助産師さんが教えてくれるおっぱいマッサージは、乳頭を指でしっかりつまんで、ひっぱったりぐりぐりつねったりするものでした。妊娠中から指導され、一日に8から10回(授乳回数分)しなさいと言われました。私は桶谷式の本も読んでいたので、それもしなくていいかなとは思ってはいましたが、何もしないのも不安があったので、お風呂上がりに一日一度だけするようにしていました。妊娠中は特別なおっぱいのケアは必要ではなく、出産直前に軽く乳管開通をしておくだけで十分なのだそうです。

 茉梨は予定日より少し早い39週で生まれました。妊娠中の推定体重は2800gと言われていたのですが、実際の出生体重は2275gと小さかったので「おやっ?」とは思いましたが、元気に泣いていたので、私も主人も全く心配などしていませんでした。 昔からよく言われているように「赤ちゃんはお弁当と水筒を持って生まれてくるので2~3日は飲まず食わずでも心配ないのよ。」と言われるものと思っていました。 
 けれども、病院から「このまま血糖値も基準値ギリギリで、体重も増えずに減って、2000gを切ってしまったら、赤ちゃんも弱ってきて危険な状態になります!飲まないと脱水状態になって熱が出ることもあります」と言われ、授乳を赤ちゃん任せにして、のんびり出来る状態ではなくなってしまいました。  まず、飲ませ、寝てしまったら出来るだけ沢山搾って、起こして飲ませるということを続けました。ですが、出産後すぐにおっぱいは出てこず、いざ搾ろうと思ってもじわりじわりとしか出てこないので、ほとんど寝る時間もなく、少し搾ってスポイドで吸い取ることを2日間ほど続けました。その後はおっぱいも少しずつ増えてきたので、巡回の助産師さんに手伝ってもらって搾乳をして飲ませました。 病院では自分でうまく搾乳することが出来ず、手伝ってもらうと病院の助産師さんは乳房まで押さえて搾るので、とにかく痛いのを我慢するしかなかったです。

 その頃にはすでに左乳頭には水泡が出来てジンジンと痛くて辛かったです。 今思えばおっぱいの出もあまり良くなかったです。左の乳頭は特に硬く、ほとんど出てなったんじゃないかと思います。 
 妊娠中に出来ることは全てやっておきたいと思っていた私ですが、桶谷式の助産院を知るまでに時間がかかってしまったので、出産までに井田助産院の「おっぱい講座」を受けることが出来ませんでした。おっぱい講座さえ受けていれば私の入院生活はもっと楽しめたのに、と今でも思います。
 退院の翌日、母に連れて行ってもらって、井田助産院へ行くことが出来ました。私は「もうこれで心配ない、おっぱいは出るわ~!」と安心したことを覚えています。井田先生には細かい事まで色々と質問したりしましたが、先生は一つずつ丁寧に答えてくれ、沢山のアドバイスもしてもらえて勇気付けられました。
 2日間続けて通うとおっぱいは沢山出るようになっていました。けれども茉梨は出生後に黄疸が強く出ていたので、私は「黄疸が再発するのではないか」という心配がずっとあって、2週間検診までは粉ミルクも飲ませようかと迷いながらも何度か20~30ミリリットルあげたことがありました。けれども、毎日毎日おっぱいを飲んで順調に大きく成長していってくれる娘を見ていると、次第に迷いなどはなくなって、おっぱいだけで十分だと思えるようになりました。

 今、娘は1歳6ヶ月になります。井田先生のアドバイス通り1歳4ヶ月で無事卒乳することも出来ました。大きな病気にもかからず、元気に走り回っています。授乳中は長く感じましたが、終わってみれば短かった1年ちょっとでした。
 授乳中は何度もおっぱいを詰まらせて乳腺炎にもなり、井田先生のところに何度通ったかわかりません。本当にお世話になりました。ありがとうございました。
これからママになられる方へ。
医者いらずに育てるためにも、是非おっぱいを沢山飲ませてあげてほしいと思います。そのためには妊娠中からおっぱいに関する知識を得ることが大切です。井田助産院の「おっぱい講座」を受講されることをおすすめします。



断乳を乗りこえて 湯浅聡子さん 蕗(ふき)君

 妊娠から出産までの道のりの記憶はもはや曖昧なものですがとてつもなく幸福に満ち溢れていたものであったと記憶しています。2376gの低体重児であったこと以外には大きなトラブルもなく穏やかに初めての出産を経験することができました。
 「おっぱい?そのうち出るようになるから。足りなかったらミルク足して。」の助産師さんの言葉に、そんなものなのかなと思っていました。母乳育児に特別こだわっていたわけではなかったし、ただ赤ちゃんがかわいかったからそれでいいやと思っていました。しかし、出産の余韻に浸っていた時間から徐々に日常(しかし今までとは違い息子をかかえての日常)に戻ってきたときにやっと母乳が出ないことに疑問を感じるようになりました。その頃にはすでに粉ミルクが息子の栄養源になっていましたし、出ないおっぱいに吸い付けない息子との授乳の時間が苦痛なものになっていました。息子が寝たら○ml搾れたと搾乳しては量を確かめ、飲んだ粉ミルクの量と比較しては足りないと落ちこんでいました。こだわっていなかったはずの母乳育児にいつしかとてつもなく執着していることに気づきました。

  もういいや。私の人生と息子の人生は違う。いっそ完全粉ミルクにしてしまおうとさえ思いました。そんなときに、友人から井田助産院を紹介されました。
緊張しながらの初めてのマッサージ、井田先生はおっぱいの仕組みを説明してくださり、母乳のことだけでなく私の不安やたった数ヶ月のことだけれども誰にも話すことの出来なかった育児の不満や悩みも聞いてくださいました。
 「粉ミルクなくても大丈夫。」さすがにその言葉はお世辞に違いないと思いましたが、授乳の仕方を教えてもらい不慣れながらもその日から初めてドキドキわくわくしながら息子とのふれあいの時間を楽しんだことを覚えています。結果的にうまく授乳が出来るようになったことで母乳の量も増え粉ミルクを必要としなくなりました。3時間ごとの授乳は時に負担に感じてしまうこともありましたが、私にとってはそれ以上に幸せな気持ちをもたらしてくれるものでした。
 もともとフットワークは軽いほうでしたが、息子を連れてとなると思うようにはいきません。そんな中、井田先生の企画してくださったおっぱい講座やヨガ教室、メイクのレッスンはとても楽しいものでした。たくさんのお母さん仲間とお話できるのがとても嬉しくて、ついつい長居してしまう心地よい空間でした。

 楽しい時間はあっという間に過ぎ、気づけば息子も1歳半を迎えて一人で歩くようになりました。いよいよ断乳を決断する時期です。ちょうど1歳7ヶ月のお誕生日に断乳しようと何となく決めて、何となくその日を迎えました。パイパイ大好きな息子がどれほど頑張ってこの試練を乗り越えなくてはいけないかなど想像もせず、ただその日がくれば終わるものと考えていました。
 おっぱいを飲むことができない息子は泣きました。私は自分がとてもいい加減にしか断乳に向き合っていなかったことをとても悔やみました。必死で我慢している息子に私はただ涙が出るだけで、どうして軽々しく断乳するなんて決めたのだろう?と後悔しました。このとき初めて断乳という儀式に真剣に向かい合いました。このまま断乳しては後悔すると思い直して授乳を続けることを選択しました。断乳の日はわたしが勝手に決めるのではなくて家族みんなで決めてその日を迎えましょうと息子にも伝えました。
 それから数週間、またいつもの母乳育児に戻ったのも束の間、ここにきて初めての乳腺炎を発症してしまいました。40度を越える熱、乳房の痛み、決めた日に断乳しなかったから罰が当たったのではないかしらとさえ思うほどでした。乳腺炎は思った以上に長引きましたが井田先生の的確なアドバイスと献身的なマッサージの甲斐あって重症化することは免れました。この乳腺炎がきっかけで改めて断乳を決意しました。
 2012年12月10日、本当に楽しかった母乳での息子とのふれあいを終わりにし、新しい育児への第一歩を踏み出しました。授乳中は母乳がメインの息子の食事でしたが、断乳を期にもりもりと大人顔負けにご飯を食べるようになりました。私の準備する食事を美味しいと食べてくれることも、またこんなにも幸せなことかと感じています。断乳することは意地悪でも悲しい出来事でもなかったと今となっては冷静に受け止めることができます。半ばあきらめかけた母乳育児を心温かく助け見守ってくださった井田先生には心から感謝しています。ありがとうございました。

母乳育児を体験して 湯上真乃さん 咲(さき)ちゃん

 平成23年の春、長女を出産しました。 母乳育児にこだわっていた訳ではありませんでしたが、出産し子どもがおっぱいを吸い始めれば母乳はどんどん出るものだと 言われ退院しました。 しかし、二ヶ月を過ぎてから授乳が上手くいかず、時折嘔吐がみられ空腹の せいか夜泣きもひどくなり、途方にくれました。
 ミルクも嫌がるので体重がひたすら気になり、毎晩入浴後抱っこしてそっと 体重計に乗ることが日課になりました。 明らかな身体的問題がないこともあり、主人も実母も「昼間の機嫌はいいみたいだし、そのうち増えるよ」とさほど気にする 様子もなかったのですが、私はおっぱいが悪いからこういう事態になっているのだ、このまま成長しなくなったらどうしよう …と漠然とした不安にかられ、だんだんと授乳時間が憂鬱になりました。
 そんな中、突然の左乳の激痛に襲われたのです。 本やネットにあった乳腺炎の症状でした。 これは自分でなんとかできる痛みではないと感じ、井田助産院に辿り着きました。

 初対面の井田先生はドすっぴんにピンクの かっぽう着の出で立ちで、娘には「初めまして。おっぱいのおばちゃんです」と自己紹介され、とても気さくに接してくださ いました。私は「お母さんのお母さん」に会えた気がしました。
 この時、乳房ケアによる詰まった乳腺の開通だけでなく、よ どんだおっぱいは美味しくないのでさらに飲まない悪循環になっていること、おっぱいの勢いがありすぎて赤ちゃんが空気を たくさん飲んでしまうため吐いていること、女の子は授乳中寝やすいのでタイミングを逃さず左右をかえることなど、悩んで いたことが次々と解決されました。
 マッサージの途中、ぐずり泣きを始めた娘をあやしていると、何故か私も涙が出てきました。その時の、「頑張ってやってき たんやね、今日は子どもと一緒に泣いて帰り!」という先生の言葉に一気に力が抜け、安心感からかポロポロと涙が止まらな くなったのを今でも覚えています。
 それからは美味しいおっぱい製造元になるべく、授乳の方法や睡眠、食事に気をつけました。

 今振り返ると、悩んでいた期間は長くても一週間程度であったのですが、出産後毎日ほぼ二人きりで過ごし、ほとんど誰とも 口を利かないまま一日が終わり、不眠で思考回路も低下していると、ネガティブなことしか考えなくなっていたと思います。 このため、大人の体重計でわかるほど日に日に大きくなる訳は無いのに、そんな矛盾にも気付きませんでした。
  再び乳腺炎症状が出たときも、自分で出来るケアの方法を井田先生に教えて頂いていたので、これをひとつずつ思い出し、落 ち着いて対処できました。 そこで改めておっぱいを知ることは大切だと思いました。
 井田助産院では、お母さん方におっぱいを知っていただくために、毎月「おっぱい講座」を開催しています。妊娠中から断乳 までのおっぱいにまつわるお話が何種類かあります。自分の聞きたい講座を選んで参加するのですが、ほとんどの方は子ども を連れて来られます。
 おっぱいにまつわるトラブルには、お母さんが原因というだけでなく、赤ちゃんの性別や個性など様々な要因も考えられます 。おっぱいを知ることにより、ただ悩むだけでなく、何らかの解決に結びつくヒントがあると思います。

 難しいことではありません。おいしいおっぱいで赤ちゃんもお母さんも笑顔の授乳タイムになれば、こんな素晴らしい時間は ありません。そしてまた、本やネットの情報ももちろん有効でしたが、家から一歩踏み出し、ベビーマッサージやベビーヨガ、はたまたメ イクアップ教室まで、いろいろなイベントを開催している助産院に行ってみると、様々な方との出会いがありました。年齢も 職歴も関係なく、共通点はみなお母さんであることだけです。
 そんな輪の中で、おっぱいのことでなくても、少し誰かと話をするだけで あれだけ行き詰まっていた閉塞感と孤独感からフッと開放された感覚がありました。
娘は只今1歳半、小粒ちゃんながらも元気に育っています。 心の風通しを良くすることは、お母さん自身が元気になることにつながり、 おいしい母乳の最高のエッセンスになること間違いなしです! あなたも一度赤ちゃんと一緒に出かけてみませんか?